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© 2013 Akasaka Tomoaki, all rights reserved.

 

野生動物や自然風景の撮影の基本は、「待つ」ことである。何時間も待ち、それが長期にわたるのであれば野営をする。自分の前に自然がその姿を現せてくれるまで時間を費やす。しかし、放射性物質に汚染されてしまった場所では、「待つ」ことはおろか足を踏み入れることすらも許されない行為となる。放射線量が高い場所で野営をすることは、深刻な被曝を意味する。線量計のモニターに表示される数値だけが、撮影行為を許可するのである。自然はそこに在るにもかかわらず、触れることはできない。

『Distance』という言葉には、名詞では「距離」の他に「隔たり」、あるいは動詞としては「引き離す」という意味がある。福島での撮影は、奪われた、あるいは失われた”Distance”を知ることからはじまった。いったいどれだけの距離が私たちに残されているのか、その痕跡を拾い集めることで失われた遥かな距離を埋めることができないだろうか。クマの爪痕、シカの糞、イノシシのヌタ場、猿が食い散らかした柿、美しく紅葉した森、光射す水面、遡上を終えたサケ。わずかに残された距離を確認することから、はじめてみようと思う。

ひとつの希望がある。
それは人が介在しないことによって、かつて手つかずだった頃の自然が再生するのではないかということ。 かつて私たちが引いた境界線は、事故とともに吹き飛んでしまった。このまま10万年が過ぎれば、放射線量が高くて人が近づくことができない場所は、人の立ち入りを禁じた神社の神域の森が美しい自然を残してきたようにすべて聖地となるはずだ。これまで人間が自然から奪ってきたもののうち、僅かだけでも自然に帰していいのではないか。それは遠い未来の世代への贈り物となる、そう考えることはできないだろうか。いつの日か、私たちがふたたび足を踏み入れることを許されるまでの、ひとつの希望として。

赤阪友昭